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2014年4月25日 (金)

出雲と大和

Photo出雲といえば荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から厖大な数の銅剣や銅鐸が出土し、また出雲大社の境内から社殿を支えていた巨大な柱が発掘されるなど想像を超える遺物遺構が発見されている。

この本は出雲は大和朝廷に隷属する存在と考えられていた今までの考えを覆し、古代史の中での出雲を新しい位置づけをしようとしたものである。

奈良盆地の中央部東側にある三輪山は大物主神が祀られている。

大物主神とは出雲大社に祀られる大国主神と同じ神である。

なぜ大和の国の三輪山に出雲の神である大物主神は祀られているのか。

そしてなぜ大国主神の分身としての異名を持つ神々が日本各地に存在するのか。

出雲系統の祭祀である「磐座信仰」について。

などが語られていく。

続いて、邪馬台国について語られていく。 

著者は邪馬台国は大和にあったと推定する。

この本では魏志倭人伝に書かれた北九州にあったと推定される不弥国から邪馬台国への道程を次のように解釈している。

不弥国から水行20日で投馬国へ至るのであるが、不弥国(北九州)から日本海ルートを通ったと推定し投馬国を出雲あたりと推定する。

そして投馬国から更に水行10日で着くところを丹後あたりとする。

丹後で上陸しそこから南へ陸行1か月で到着したのが大和国(奈良県)と推定し、そこが邪馬台国であったとする。

実はこの道こそ出雲と大和をつなぐ道と重なり合うルートであると推定している。

そして当時、邪馬台国を含め中国、北陸、近畿地方は出雲政権と密接な関係があったとしている。

魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は存在したはずであるが、古事記や日本書紀の物語には邪馬台国も卑弥呼も登場しない。

それは何故か?それは邪馬台国は大和朝廷の祖先ではないからとする。

3世紀の頃、魏国へ使いを送った卑弥呼の時代、邪馬台国は大和に存在した。

しかし、その後邪馬台国は衰退し、九州から侵攻してきた神武軍により滅亡した。

だが大和朝廷には神武軍と大和の在来勢力であった出雲系の勢力も合体した。それは国譲りの神話の元になったと考えられる。

古事記や日本書紀は物部氏や葛城、鴨氏など出雲系の勢力が衰退した後、編纂されたものであり、その編纂者は魏志倭人伝の記述を知りながらも、出雲系の政権であった邪馬台国については意図的に抹殺したと考えている。

このように最新の考古学の発見と、日本各地の神社をはじめとするゆかりの地を歩いて書かれたこの本には非常に興味深いことが書かれている。

また、多くのめずらしい写真が掲載されているのも読んでいて楽しい読み物である。

岩波新書なので字も小さくとっつきにくい感じがするかもしれませんが、写真も多く邪馬台国など興味深い内容もあるので、考古学に少しでも関心のある方は購入して読んで見ませんか?

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