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2014年3月 1日 (土)

播磨灘物語

Photo播磨灘物語(一)

この「播磨灘物語」は今年(2014年)のNHK大河ドラマの「黒田官兵衛」を司馬遼太郎さんが書いた時代小説である。

私が購入した講談社文庫では全4巻となっている。

今回はその第一巻である。

物語は官兵衛の曽祖父の黒田高政のあたりから書かれている。

黒田高政は琵琶湖の北東あたりになる近江黒田村に居たのであるが、都合あって近江を出て流浪した。

そして、官兵衛の祖父重隆の時に姫路に移り住むことになった・・・・・・。

黒田官兵衛は木下藤吉郎の軍師として大河ドラマでしばしば登場するのでその活躍はよく知られている。

だが、この小説の第1巻では木下藤吉郎と出会う前の黒田官兵衛が書かれており、黒田官兵衛がどのようにして、あのようにりっぱな軍師になったのかというところがとても興味あるところだ。

Photo播磨灘物語(二)

官兵衛は信長に会うために岐阜をめざした。

官兵衛は信長と接見し、そこで信長に木下藤吉郎のもとへ行くように言われた。

この時期、対毛利外交は藤吉郎が担っていたのだった。

こうして官兵衛は藤吉郎との濃密な関係が始まることになる。

播州での信長方の戦いは一筋縄ではいかない戦いの連続であった。

上月城の戦い、三木城での戦、とつらい戦が続く。

そんな中で、官兵衛の活躍が藤吉郎、そして信長からの信頼を得るようになる。

そんな時、信長の信頼を得ていた荒木村重の謀反のうわさが流れる・・・。

Photo

播磨灘物語(三)

官兵衛を信長に取りついでくれた荒木村重が信長に 謀反を起こし毛利についたことは本当だった。

そして、それは官兵衛の立場を深刻なものにした。

自分の主家である御着城の小寺藤兵衛は荒木に寝返った。

官兵衛は荒木村重を説得するために伊丹城に出向いたが、そこで捕まり牢に入れられてしまった。

それから官兵衛は1年以上牢につながれ、伊丹城が落城し助け出された時には四肢がこわばり歩くこともできない凄惨な状態だった。

官兵衛は有馬の湯にて湯治により体の回復をはかった。

まだ、体が回復しないにもかかわらず、官兵衛は播州三木城攻めの陣に戻った・・・・・。

こうして物語は播州の平定から、いよいよ毛利氏との戦いへと移っていく。

この第三巻ではいよいよ備中高松城にこもる清水宗治との交渉が不首尾に終わったところまで書かれている。

信長の中国攻めに関しては、今まで様々な小説や大河ドラマでお目にかかっているが、この播磨灘物語ほど詳しく書かれたものは初めてである。

地図を眺めながらこの本を読むととても楽しいものである。

いままで、ただ素通りしていた地域がこのような歴史上の出来事があった所だったことを知ると、今までとは違った景色が見えてくるようである。

確か、秀吉がこの備中高松城を水攻めをしている時に、本能寺の変が起こり信長が殺されるはずである。

この小説では「播磨灘物語」という題名が示す通り信長の中国攻めのあたりが中心となり詳しく語られていくようだ。

どちらかといえば戦国時代末期の物語では京都、大阪より東を舞台にしたものが多く、意外に信長の中国攻めの部分を詳しく描かれたこの小説には新鮮な感動がたくさんありそうだ

Photo播磨灘物語(四)

いよいよ羽柴秀吉は毛利方の清水宗治が守る備中高松城を攻めることになった。

黒田官兵衛もその陣中にいる。

備中高松城は名城であり、守る兵は5000以上で、城主宗治は調略はまったく受け付けなかった。

この城を力攻めすれば、こちらが相当傷むと官兵衛は覚悟していた。

ところが、秀吉は途方もないことを言い出した。

城の北側方に流れる足守川の西北の1点を閉ざし、大堰堤を作り城を水攻めにするというのだ・・・・・・。

そして、備中高松城は完全に水に浮かぶ城となった。

一方で、官兵衛は毛利との和平を有利に進めていた。

そんな時、信長が本能寺で明智光秀に討たれたという報せが届いた・・・・。

秀吉は「主の仇」光秀を山城山崎で討ち、その2年後には、豊臣政権を確立した。

官兵衛は自分の天下構想を秀吉に実現させたという満足を得たのであろう。

官兵衛は43歳にして隠居を秀吉に願い出たが秀吉は官兵衛の隠居は許さなかったが、家督を嫡子の長政に譲ることは認めたのであった。

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