« 蹴りたい背中 | トップページ | ホテルローヤル »

2014年1月 4日 (土)

葬られた王朝

Photo「古事記」や「日本書紀」などに書かれた出雲神話は、かつてはまったくのフィクションであると考える歴史家が多かった。

この本の著者「梅原猛」氏もそうであった。

しかし、1984年の荒神谷遺跡の発見、1996年の加茂岩倉遺跡の発見、更に出雲を中心とする多数の四隅突出型墳丘墓の発見により、出雲を中心とする日本海沿岸に根強く1つの権力が存在し続けたと考えざるを得なくなった。

そして梅原猛氏は以前の出雲神話はフィクションであるという考えを改め、「古事記」に書かれた出雲神話が「古事記」編纂者が勝手に作り上げた神話ではなく、古くから日本の朝廷で語り継がれていた古物語であることを考古学的遺物により裏付けられることを証明している。

出雲王朝はスサノオに始まり、その六代子孫のオオクニヌシが繁栄させたとする。

ヤマト王朝の始まりとされる神武天皇は、日向からはるばると遠征して、ヤマトを占領した。

しかし占領軍が権力を保つ為に、かつてこの国を支配したオオクニヌシ一族と深い姻戚関係を保つことによりが必要であったと述べられている。

そして出雲王朝がどのように葬られ、「古事記」「日本書紀」等が書かれた背景と、出雲大社が建造されるに至る物語が検証されている。

この本の「はじめに」では、最初に梅原猛氏がこの本を書くことになったいきさつを述べている。

第一章では、出雲王朝のはじまりとされる「スサノオ」について書かれている。

第二章では、スサノオにより始まった出雲王朝を越後から播磨そして大和までを勢力範囲を広げ、出雲王朝を繁栄させたオオクニヌシについて書かれている。

第三章では、出雲地方に新しく出土した考古学的遺物について語られ、それらが第一章、第二章で語られた出雲神話を裏付けることを検証されている。

第四章では、「古事記」「日本書紀」が書かれた背景と書かれた意図について検証され、いずれの編纂にも深くかかわったとされる藤原不比等について詳しく検証されている。

そして「おわりに」では、出雲大社について書かれ、出雲大社が「いつ」、「誰によって」、「何のために」、「いかなる思想によって」、「その建造はいかなる意味を持つか」ということが述べられている。

この本には多数のカラー写真が納められており、梅原氏がこの本を書くにあたって様々なところを訪れ取材をされたことがわかるとともに、歴史的資料として本の内容を理解するのに非常に役に立つものである。

« 蹴りたい背中 | トップページ | ホテルローヤル »

古代史」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
 大和朝廷近辺の歴史については関裕二氏もいろいろと書かれていますね。蘇我と藤原の話や、古事記が稗史であるという説など、読んだ記憶があります。
 私はまだ読んでいないのですが、サニーさんがご紹介されている『出雲抹殺の謎』(関裕二作)も面白そうですね。

 梅原さんも関さん古代出雲はあったと主張しているようですが、どこら辺に相違点があるのでしょうか?

 もしわかったら教えて下さい。

ブログを読んでいただき大変ありがとうございます。
古代史には大変興味があり、時々読んでいますが、残念ながら以前読んだ内容は十分におぼえておりません。梅原さんと関さんの主張の内容は細部には違いがあると思いますが、非常によく似ているとは感じています。それは根拠となる遺跡やそのもととなる資料が限られているからだと思います。
いずれ十分な時間がとれるようになりましたなら、再度読み直してみたいと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 葬られた王朝:

« 蹴りたい背中 | トップページ | ホテルローヤル »